みなさんは、自分が好きな漫画をテレビで観れたら良いな、と思う事はありませんか?漫画は漫画で素晴らしいですが、でも、実際にはコマの中に描かれた絵をみながら吹き出しのセリフを読んでページを捲るだけなので迫力に欠けると思う事があったりします。
そして、遂に大好きな漫画がアニメ化される、と言うニュースが連載されている漫画雑誌で発表されてヤッホゥ!と有頂天になりながら学校から家に帰った事はあるのではないでしょうか?「主人公の声優は誰が務めるのかな?イメージ的に○○さんかな?」と勝手に想像を膨らませて宿題に手がつかなった事もあると思います。
そして、待ちに待ったお気に入り漫画原作のアニメ、第一話の放送日。長く待ち続けた日々にサヨナラを告げ、テレビの前で正座をして観ていたら笑みが溢れていたはずの自分の顔が歪み始める…何か異変が!
自分の中をひたすら駆け巡る、『コレジャナイ』感。
ここはひとつ、paypalcasinoで遊びながら気を取り直し、ちょっと『どうしてこうなった?』理由を冷静に分析してみましょう。
怪その1:作画崩壊
漫画の場合、週刊誌なら毎週、月刊誌なら毎月、作者がアシスタントさんの協力の下、毎回毎回丁寧に絵を描かれているので作品のクオリティが安定しています。やっぱり、そういう作風ならまだしも、作画に定評がある作家さんの絵のクオリティはストーリーの流れだけではなく、楽しみにしている要素の一つですよね。
しかし、TVアニメも原作漫画と同じように毎週毎週、プロのアニメーターさんが何名も一緒になってセル画にアニメの絵を描いているはずなのに、作画のクオリティに目を覆ってしまう事が一回ではなく、二回、三回、六回、八回、十回、百回と絶対に作品によってはあるはずです。
例をあげるとしたら、(漫画原作では無いですが)1970年代に放映された、宇宙コロニー群の一角に住む内気な少年が自分の父親が設計したロボットに搭乗し、政府に独立戦争を仕掛けてきた別の宇宙コロニー群と戦う作品があります。
その作中、敵の軍隊から戦いに疲れて地球にある島に隠れて住んでいた脱走兵が登場する回があります。
紆余曲折の末、その脱走兵は自分が隠していたロボットに搭乗することとなるのですが、ここでそのロボットは「背、伸びた?」と聞きたくなるほど、スラッとした10頭身以上の高プロポーションを見せてつけてくれます。
その反面、主人公が乗るロボットは顔面が間延びしてしまい、見るにも絶えない無残な姿になったりします。
感動する筈なのに『観ていて気が散る』と言うのが、正直な気持ち。
さらに、どら焼きが好物の青いロボットがお腹に付いている不思議なポッケで居候している家のだらしない男の子を助け、一人前になれるように育ててくれる国民的アニメも例外ではありません。
このロボット、『足』はあっても『脚』は無いようなものなので『膝』もないのですが、何故か正座をして座る事があります。ここまでは良いとしても、ある回のある場面では主人公の部屋で前述通り正座をして座るのですが、ここでは原作の設定を無視して長い脚が体から伸びており、しっかりと膝を曲げて正座をして座る有様です。
さらに主人公の友達で社長の息子である事実(父親の乗る車が『ポルシェ』ならぬ『ポルチェ』)を一定の周期で自慢をするキャラクターが居るのですが、このキャラクターは顔がとんがっており、そこが口になってます。
でも、ある回のある場面では顔の横にとんがって居る口先と共に、顔の真ん中に口が二重に描かれて居る始末です。
これでは対象年齢のお子様も泣いてしまいます。
しかし、1970年代に原作漫画が連載され、アニメ化された『野球界の盟主』と呼ばれるチームを題材にしたアニメでは、自在するプレイヤーが多く出現し、往年の名選手が荒くれた主人公に活を入れるために『なでなで』するのですが、これがビックリの主人公がコンクリートの壁を突き破って吹っ飛ばされるほどの威力!これは、こういう作画なのでご安心ください。でも、実際にやってはいけません。
怪その2:意味のない総集編や声優の使い回し
現在はともかく、2、30年前に放送されていたアニメではよくあるパターンなのですが、新章に突入する手前に、突然、今までの軌跡を振り返ってみる回があったりします。(但し、レンタル版など、ソフト化された場合には含まれないケース有)
原作で既に読んだ燃える展開が目の前で動作付き、声付きで観る事ができ、テレビに釘付けになっていて、もう既にボルテージは最高潮に達していて来週の予告を「おっし、来週から新展開だ!漫画では既に読んだから、バッチ来ーい!」と待っていると、蓋を開けてみれば、来週は総集編のお知らせだったりします。
今までの感動を返して欲しいと思うと同時に、実際に総集編を観てみると苦痛でしかありません。
それは、どうしてなのでしょうか?
総集編が放送されると言うことは、アニメの製作が追いついていないために、放送済みの回を再編集したり、声優さんたちに新しいセリフを吹き込んでもらって『過去を違ったアングルで振り返る』ことでその場を凌ぐ、と言う事があります。
1990年代の初めから半ばにかけて週刊少年誌で連載され、2022年末に連載が終了してから26年ぶりに声優陣を一新して新しい劇場版が公開中の神奈川県湘南地域を舞台にした高校のバスケットボール部を題材にした、日本が世界に誇る名作バスケットボール漫画が原作のアニメも例外ではありません。
全101話ある中、第21話と第22話の間、更に第61話と62話の間に『スペシャル』と銘打って総集編が二度、放送されています。しかし、これは原作者の判断か、製作側あるいはアニメを配給している会社の判断か、ソフト版には含まれていないので今となっては観ることはできません。
しかし、このアニメも原作とは違い、試合中の主人公たちのキャラクターのプロモーションが妙におかしいのです。オープニングの主人公が自分とは30cmくらいしか違わないヒロインと一緒に歩くシーンでも、ヒロインが主人公の半分くらいのサイズで描かれており、やはり『観ていて気が散る』と言えます。
また、この国民的に人気を誇るバスケットボール漫画のアニメ版も、違う問題点として同じ声優が名もない様な不特定多数のモブキャラ、主人公の親友とライバル校ひとつの選手、主人公が通う学校の番長とライバル校のひとつのエース級選手、試合をまとめる審判とライバル校のひとつの控え選手と言う複数の組みわせでキャラクターを演じているのが挙げられます。これにより、同じ声がいくつも違う方角から聞こえてくるので観ていて疲れてしまいます。
怪その3:アニメ版独自の要素
作画のクオリティが崩壊、製作が間に合わないので以前に放送した回を再編集した回で場を凌ぐ、に次いでよくあるパターンとして『アニメ版独自の要素』があります。
最もたるものが、『原作に登場しない、オリジナルキャラクターが登場』、『原作に登場したキャラクターを居なかったことにし、代わりにオリジナルキャラクターが登場』、『原作に登場した複数のキャラクターを合わせた、オリジナルキャラクターが登場』と言うものです。
前述のバスケットボール漫画と同じ週刊少年誌で連載されていた、オレンジ色の水晶玉の中に赤い星が描かれた『魔法の水晶玉』を7つ集めると願いを叶えてくれる龍が現れる漫画の主人公の父親がアニメオリジナルキャラクターとして、TVスペシャル版に登場した事があります。
このキャラクターは視聴者や原作ファンの大変な人気を誇り、原作には登場しないもののアニメ版が最終回を迎えた後に作成されたテレビゲームには何回も登場し、持ちキャラとして使い続けるプレイヤーも出てくるほどです。
そして、それを観た漫画の原作者が原作に逆輸入して短編漫画に登場させたり、それをベースにした短編アニメが製作されるだけではなく、本編の流れを組む劇場版にも登場するなど、原作者も気に入っているキャラクターのひとりとなりました。
しかし、ここまでは『アニメ版独自の展開』における良い点です。
ある、14世紀から17世紀までに存在した時代に書かれた中国の文献を原作とした漫画があり、人気が出てくるにつれてアニメ版をはじめ、ゲームが作成されることとなりました。
この漫画は中国の文献を大胆に解釈・再構築しており、それが作者のスタイリッシュな作画のスタイルと共に人気の要因となっていました。しかし、アニメ製作陣が原作の原作となる中国の文献について調べなかったのか、それとも漫画版の原作者がストップを掛けたのか主要な敵キャラはそのままになってしまいます。でも、話の流れがガラッと変わってしまい、漫画では最初から最後まで主人公の師匠キャラであった登場人物が『真のラスボス』キャラとして主人公の前に立ちはだかります。
しかし、これは考えたら『アニメ版の製作スピードが原作の連載スピードを追いつき越えてしまった』為に起こる弊害的なものと言えます。また、これがどうして起こるかと言うと、(週刊少年誌の場合)毎週、作家が連載する作品の1話にかけるページ数は19ページと決まっており、それにより19ページごとに毎週話が進む為に自然と話が進むスピードが決定されしまいます。
それに対してアニメ版だと1話に約22分かける為、さらに漫画でのエピソードを少し削る、1エピソードにつき原作2話分使うなど、原作に完全に沿っていく訳ではないので話が進むスピードが早かったりします。なので、『アニメ版が原作の連載を追い越してしまい、原作が追いつくまでの間にアニメ独自の展開をする』ことがみられます。これが、インターネットなどを閲覧していると『アニメ版オリジナルストーリー』と呼ばれる話が展開する理由となります。
まとめ
いかがでしょうか?漫画原作のアニメを観てて「あれ?」と思った事が何回もあると思います。でも、それには深い訳があるのをこれでご理解いただけたのではないでしょうか?
「この漫画のキャラはイメージ的に声は○○さんなんだろな」と予想したり、「この戦闘の場面は、こう言うアニメーションになるんだろうな」と脳内プレイヤーで再生したりして楽しむ方法も十分にあるとは思います。
でも、ただし、これらの理由や事情を振り返って、次にアニメを見る時には少しイメージとは違っていたとしても、知らないキャラクターが漫画では他のキャラクターが言っていたセリフを言っていても大目に見てあげるこ事もできるのではないでしょうか?
ある漫画の原作者が『原作とアニメは全くの別物だと思っている』と発言していた通り、ここでは『似て非なる物』であると理解して観ると製作陣が、どの様に工夫をしながら原作のファンを違った形で楽しませようとしているのかがきっと解るかもしれません。逆にこれを楽しみにして毎週テレビを点けて観るのはいかがですか?